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そんな赤ペンの使い方をしているから成績が上がらない
さて、ここで問題です。

勉強をするときに誰もが何の疑問もなく使う赤ペンですが、これはどんな目的で使うのでしょう?


1.授業中に積極的に分解して、「先生、ペンが壊れちゃいました」とクラス中の憐れみと注目を集め、こぼれたインクで出血ごっこをして楽しむため。

2.ペン回しの猛特訓をして、なにかすごい技が習得できたらYou-tubeにアップして、今話題の「ゆうちゅうばぁ」になって勉強しなくても大金持ちになるため。

3.正解した問題には○をつけて、間違えた問題には正解を書くため。

4.わからなかったこと、できなかったこと、すなわち成績を上げるために習得すべき知識を、復習をするときに瞬時に把握するため。



うーん、ちょっと難問だったかな。

ちなみに先生は小学生のころ、当時流行っていた水性ボールペンを分解して塾の教室を血の海にしてやったぞ。あっははは〜。

そのあと、塾の先生に竹刀と参考書で殴られてリアル血の海になったけどね(当時、塾の先生って竹刀を持っているのがふつうでした)。



というわけで、正解は4番です。(え!簡単だった!?)
では、ほんとうにみなさん、この目的にかなった赤ペンの使い方をしていますか?


宿題やテスト直しをやっている子を見ていると、けっこう意味のない赤ペンの使い方している人多いですよ。



とくに意味がないのが、「正解を赤ペンで書くこと」です。さっきの問題の3番の選択肢ですね。


たとえば、


国語や英語の長文問題や数学の問題で正解を書いてどうするんですか?

覚えるんですか?

でも、その問題、二度と出ないですよ?その答え、二度と正解にならないですよ?



理科や社会の「次の選択肢から正しいものの記号を書きなさい」という問題で、

赤ペンで「ア」とか書いてどうするんですか?

覚えるんですか?

同じ知識を聞かれる問題が次に出題されても選択肢が同じなんてありえないですよね?



正解を書くほうが良いこともあります。
それは、知識や語句を問われた問題の直しで、それらはむしろ正解を赤で書いて次の復習で即座に目に留まるようにしておきます。
選択肢の問題では、記号を書くのではなく、正解の語句を赤で囲むとか、あるいは書き直すようにします。


長文や数学は、問われているのは知識というより技術です。したがって、こうした技術を問われている問題を間違えた場合、赤ペンを使うのは「正解を導くために注目しなければいけなかった箇所」に線や囲みをいれるときです。そのうえで、再度解きなおすことは言うまでもありません。



勉強というのは、ただやるだけではまったく意味がないんです。
勉強というのは、さっき自分ができなかったことを、次にできるようにしなければ意味がないんです。



だから、

授業中や自習室で、僕たちはそんな満足感だけの意味のない勉強法をつぎつぎと指摘して矯正していきます。

それこそが、映像授業だけではぜったいにできない、生身の教員だけができることだからです。

 
最小の勉強量で合格判定Cの志望校に合格した方法
ご存知の方も多くいらっしゃるかと思いますが、守谷近辺の情報についての有名なブログ「おでかけ」で、常磐線のグリーン車についての記事がアップされていました。私が中学受験生だったころ、毎月の模試を受験するのにわざわざ守谷から津田沼まで電車で行っていました。当時はそれがあたりまえだったわけですが、このときに乗る電車が急行電車の回送運用を普通電車として走らせているものが時間的にちょうどよかったので、よく利用しました。この電車、じつはグリーン車を連結しているのですが、あくまで普通電車なので、これもグリーン料金なしで合法的に乗れてしまうという変わり種で、おかげでグリーン車に乗れる模擬試験のある日がいつも楽しみでしかたなかった塾長です、みなさん、こんにちは。
 

さて、そんな受験生時代、私はそれほど勉強をしていたわけではないと思います。今の塾生たちのほうがよっぽど勉強していますね。それなのに「がんばっているのに成績が上がらない」という悩みを抱える人は少なからずいます。「がんばっているのに成績が上がらない」のには、いくつかの原因があるわけですが、その多くは「弱点を補強するような勉強をしていない」という点にあります。あたりまえのことですが、「できない問題をできるようにする」ようにしなければ成績は上がりません。ところが、「がんばっているのに成績が上がらない」人の多くは、「できる問題」ばかり「がんばって」いて、じつは「できない問題」は放置してたり、逃げてたり、あるいは、そもそも<何が>「できない」のかすら把握していなかったりします。どんなに三輪車に乗る練習をしても、自転車に乗れるようにならないのと同じです。


「できる問題」の復習も大事です。それは否定しません。しかし、それはどちらかといえば、上級者向けの勉強方法で、成績を上げた経験があまり無い子たちは、まず、「できない問題をできるようにする」勉強に注力すべきだということです。だって、そのほうが、短時間に少ない勉強量で成績が上がりますからね。

短時間に少ない勉強量で成績が上がる・・・・

ね、いい響きでしょう?


そのためには、塾での行う模擬試験をぜったいに受験してください。

模擬試験は、偏差値やら合格判定やら出ますが、正直、そんなものはどーでもいいのです。
大事なのは、模擬試験の結果から「なにができていないのか」を知ることです。
言い換えれば、「なにを勉強すればいいのか」を知ることです。
そんなに熱心な受験生ではなかった私は、
模擬試験が終わったらすぐに自己採点をし、まちがった問題やできなかった問題の解説のみを熟読しました。



じつをいうと、受験生だった私がやった勉強はたったそれだけです。


ただそれだけを模擬試験のたびにくり返していくだけです。




ですから、模擬試験で合格判定がCでも、その直後にAの判定がとれるような学力にしてしまえば、模擬試験でどんなに悪い結果がでようと関係ないわけです。おかげで、模擬試験の合格判定が悪くてもたいがいの志望校は合格できました。




というわけで、みなさん、6月の月例模試の締め切りは8日(月)ですよ〜。
すぐにやってくる期末試験の前に、この模試を利用して、

短時間に少ない勉強量で成績が上げちゃいましょうよ。


数学の成績が伸びるノートの使い方
以前は塾のいちばんの集客期は2月から3月だったのですが、この時期は大手塾さんが無料キャンペーンをはるようになり、この時期の新規のお問い合わせはずいぶんと少なくなりました。そのぶん、私たちのような塾へのお問い合わせは新年度が始まり口コミが広がり始める4月から増えていくので、このところ毎日のように体験授業のお申し込みが続いていて、がんばってくれている講師たちや、それを話題にしてくださる生徒や保護者のみなさんに感謝してもしきれない塾長です、みなさんこんにちは。


土曜日と日曜日は授業数が少ないので、自習室にくる子たちをじっくり指導できます。先日も、新中1の男の子が数学の学校の宿題をノートにやっていたので、少しつきっきりで「ノートの使い方」を指導しました。

授業中のノートは、こちらもレイアウトや色遣いを意識して板書するので、子どもたちのノートはうまくまとまるのですが、問題を解く作業中のノートは授業時間外に作成されるためにいい加減にやる子も多いのです。

上段、ちょうど(1)と(2)までが指導前。下段(3)から指導をしています。

真ん中の大きいスペースは「考え方」を表現する所です。
右側のスペースは「作業」を表現する所です。
どちらも「表現物」として、見やすさを可能な限り意識させています。
とくに、筆算は粗雑にあつかわれることが多いので、こちらにも見やすさを徹底して要求します。
宿題量はページ数で指定されているとのことなので、めんどうがる子たちには

「このほうが少ない問題数でページ数をかせげるからうれしいでしょ?」
と言うと、うまくノッてくれます。


図形の問題はこんな感じのノートをつくってくれました。

右の「作業スペース」に、使用する公式を書いているのがいいですね。

撮影時にフィルターをかけてしまったので少しわかりにくいのですが、
図形のパーツごとに色分けをしてあり、対応する式にも同じ色をいれてあります。
数学になると1問で使う式が多くなり、自分がなにを計算しているのか見失う子が多くいます。
こうして色分けをすると、そうした迷子もなくなります。


もちろん、これだけが正しい書き方だと主張するつもりはありません。
子どもたちにも、そういう言い方はしません。

大切なことは、「問題を正しく速く解けるようになる」という目的に対して、
今の勉強のやり方が適切な手段となっているかどうか

を意識させることです。
まぁ、これは大人でも同じなんですけれどね・・・。
がんばらなくても成績があがる方法
天気が良いと、私の妻はいつにもましてがんばります。

パジャマを洗濯します。
シーツを洗濯します。
枕カバーを洗濯します。
毛布を干します。
布団ほ干します。
枕も干します。

狭い我が家を右へ左へとまるで分刻みでスケジュールをこなす芸能人のように忙しく動き回ります。
塾での子どもたちもそうですが、人ががんばっている姿は美しいものです。思わずうっとりと眺めてしまいます。
こうして、私の妻は、良い天気の間は快適な睡眠のためにありとあらゆる努力を惜しまぬ働き者になるわけですが、よく考えてみると、この人は、<眠るために起床している!?>のではないかと疑いが頭から離れない塾長です、みなさんこんにちは。



「がんばる」

よく聞く言葉ですよね。

でも、「がんばる」って何をすればがんばったことになるんでしょうね?



そこでみなさんが「がんばる」前に、ぜひやっていただきたいことがあるんです。


それは、「がんばらない」こと・・・・です。

ゲームに、テレビに、ネットに、あ、ラインの返信も・・・・ものすごい「がんばって」いますよね。

これでさらに勉強と部活までやろうというのですから、まるでオリンピック選手にでもなって金メダルをとろうとしているかのようなハードな生活ぶりで、元来怠け者の私にはとうてい真似できそうにもありません。

さらに、これに習い事やらスポーツやら・・・もう目がまわって気を失いそうです。

ね?いかに自分たちが「がんばり」すぎか気がつきませんか?



じつは、「がんばる」ということは、「がんばらない」ことです。

なにかひとつのことを「がんばる」ということは、ほかのことを「がんばらない」ことです。

たとえば、

「勉強をがんばる」というのは、

「勉強以外のことはがんばらない」
「勉強以外のことはあきらめる」
ということです。


1日は24時間しかないし、身体は1つしかない。

ほんとうにがんばっている人たちは、そのことを痛感しているから、「あれもこれも」とよくばりません。


 
子どもたち自身もそうですが、

彼らをとりまく大人たちにも考えいただきたいことです。

子どもたちに対して、「あれもこれも」とよくばりすぎていませんか?

「がんばる」と「よくばる」を混同していませんか?

 
「問題を解く」とはどういうことか判明!
人は自分だけが真実を知っていると思いたい生き物らしく、ネットには星の数ほどの「真実」があって、それが日々「判明!」されているという、まるで大航海時代のような大公開時代。ああ、そうか、それで海だけに「ネットサーフィン」なんて昔は言ったのだと、またひとつ「真実」が「判明!」した気分になっている塾長です、みなさんこんにちは。


勉強の中でも、「問題を解く」ということはとても大切なプロセスなのですが、教える側はついつい「説明する」ことに注力しがちです。それで、翔智塾では、「説明」は講習期間に行い、「問題を解く」ことを通常期間では重きを置いています。

「問題を解く」というと、まるで新しい「真実」が「判明!」したかのような響きもありますが、もちろん義務教育で学ぶことは、すでに過去の時代において偉大な先人達によって知られた事実ですから、じっさいには既知の事実の足取りをさかのぼっていくという感じです。

ですから、「問題を解く」ときに、求められた答えだけを先生に提示しても、「式を書きなさい」と冷たくノートを突き返されたりしてしまうのです。先生が知りたいのは、「事実」そのものではないのですからね。先生が「書きなさい」と言う「式」とはまさに「足取り」で、先生だけでなく、おとなたちが知りたいのは、その「足取り」をさかのぼれているかどうかなんです。

ただ、数式は、良くも悪くもいささか抽象的で、子どもたちがいきなりその次元へとたどり着くのは手順の途中にいくつかの思考の飛躍ができてしまいます。そこを、とにかく、ぐっと具体的に表現していきながら、悪い意味での飛躍を防いであげないと、応用力どころか、再現力すら身につかずに終わってしまう危険性があります。


そこで、私は子どもたちに「式を書きなさい」というより、

「解説を書きなさい。テキストの別冊に書いてある解説よりもわかりやすい解説を心がけなさい。」

と指示しています。




「問題を解く」というのは、すでに出ている「答え」を、
どれだけ他者に説得力をもって伝え、納得してもらうか・・・

の練習だと私は考えています。




将来、彼らは、自分の商品を買ってもらうために、お客様に自分の商品の良さを説得力をもって伝え、納得してもらわねばなりません。

将来、彼らは、自分の考えた企画の良さを、会社の上司や仲間たちに説得力をもって伝え、納得してもらわねばなりません。

将来、彼らは、自分が惚れた人に、自分との未来のすばらしさを、説得力をもって伝え、納得してもらわねばなりません。



勉強における「問題を解く」とは、まさに、このための練習なのです。

自分がだした「答え」を、者に説得力をもって伝え、納得してもらうための。

 
長文読解力には2つの種類がある
国語が学力の基幹をなす重要な科目であることは多くの人たちに理解され、知られていることです。ところが、中学生くらいになると、塾にお越しになる方の多くは、「英語と数学の指導を」とおっしゃられます。そういう市場の需要状況もあって、多くの塾で国語の授業はオプションだったりします。あれ?国語は重要な科目であるはずののですが、いったいどうしたことでしょうか?


いろいろな原因があると思いますが、ひとつには「国語には正解がひとつとは限らない」から、「教えられる」先生がいない・・・という誤解が大きいように思います。しかし、受験という合否を明確にしなければならない状況で出題される入試問題の国語にあっては、「正解がひとつとは限らない」では困りますから、必ず正解がひとつになるように設計されています。したがって、その設計法則をふまえれば、国語にはきちんと成績を伸ばす指導法が存在するということになります。もちろん、翔智塾でも、こうした方法論がきちんとあって、自信をもって国語の授業をおすすめしているわけです。



そもそも、入試問題とは、学校の先生方が「自分の生徒にしたい」と思わせる資質をもった子を発見するための道具です。その意味で入試問題を見てみると、その学校が子どもたちにたいしてどんな理想像をもっているか、そこはかとなく読み取れておもしろかったりします。もちろん、入試対策もそうしたところまで読み取って対策をしていくことになります。


では、国語の現代文を通じて、受験校の先生方は子どもたちの何を見極めようとされているのでしょうか。

「読解力」
もちろん、それが正解なのですが、じつは「読解力」といっても、さまざまな要素があり、それが国語の指導を難しくしているのは事実です。しかし、大きくわけると2つのタイプがあるような気がします。




ひとつめは


「文章に対しての処理能力」

 
これは、主に「書き抜きなさい」という指示に象徴されるように、長文中にある情報をルールにしたがって正確に抽出できる能力です。入試でも求められる「読解力」の多くはこうした力で、これはルールをしっかり理解させ、解法の公式通り作業をすることを習慣づけさせられれば、大幅に得点アップが望めます。塾での国語の指導も、こちらの能力を伸ばすことが主となります。




もうひとつは


「受験生の精神的『大人』度」


です。おそらく、受験校の先生方からすれば、こちらのほうに重きを置きたいというところが本音ではないでしょうか。論説文で扱われている話題や問題意識を共有できるか否か。物語文で登場する人物がみせる「大人な」行動を理解できるか否か。そうしたことが問われてしまうという一面が、国語の長文問題にはあります。



昨日も、中学生が向田邦子さんの『父の詫び状』の中から、向田邦子さんと年老いた彼女の母親とのやりとりが題材になっている問題にみんな大苦戦していました。入院した母親を見舞いに来た向田邦子さんが、ちらっと腕時計をみてしまう。それに対して「さあ、お母さんも横にならなくちゃ」という母親の気遣いの意図を書かせる問題です。もちろん、正解は本文に明記されていないので「書き抜く」ような<処理>では正解は導けません。こうした気遣いに気づける子、できればこうした気遣いができる子をわが校にほしい・・・という出題者の意図が明らかな設問ですよね。



こういう「大人」度をはかる問題を解けるようにするためには、子どもたちひとりひとりに「大人」になってもらうしかありません。塾ができることは、教室という場で、さまざまな局面で他の人たちに対して気遣いをするように具体的に指示していくといったことに限定されはしますが、多少なりとも「生活指導」的なことも欠かせないのです。



「大人」である・・・ということは、「自分とは異なる立場にある人の考えと存在を認める」ということではないかと思います。そう考えると、「大人」になりきれていない大人もけっこういる今日このごろではないかとふと思ったりします。
 
運動も勉強もダメだった僕の中学受験体験(4)
ひさしぶりにジムで体組成計に乗ってきました。実家で暮らしているときの食事は、私の食べ盛り時のままの量を母が出してくれるものですから、肥えに肥え、とうとう70kgをオーバーするまでになってしまいました。ちなみに身長は172cmです。その後、一人暮らしで自己管理ダイエットを始め、やがて妻と二人暮らしになってからは、劇的に体重が減りました。結婚生活のストレス・・では、もちろん無く、彼女の健康管理の賜物です。家族の力ってすごいなと、自分の体組成表を見ながら実感している塾長です、みなさんこんにちは。


 
さて、中学受験は、「家族の総力戦」だとよく言われます。まだまだ自己管理能力に乏しい小学生に過酷な受験勉強をさせていくのですから、ご家族のご協力なくしては成績アップも、志望校合格も成し得ないのです。その意味では、高校受験は「受験生とご家族の共同戦線」、大学受験は「受験生自身の戦い」とも言えるかもしれませんね。もちろん、大学受験ですら、ほんとうはご家族の後方支援あっての戦いではあるのですが。



私が中学受験勉強を始めてから家族がしてくれたことを挙げますと

・塾や教材の費用はいくらでも出す。

・それらの費用を捻出するために、外食は一切しない、新しい服も買わない、その他できるだけ支出を切り詰める。(たとえば、お肉は牛肉は購入せず必ず豚肉などというように徹底していました)

・テレビを封印する。家族全員、私が合格するまでテレビをみない。もちろん、玩具類や趣味の品もいっさい封印。


受験生であった当時の私は、これがいかに家族にとって大変なことだったか理解していなかったと思います。今、こうして塾の仕事をしていて、私の家族の協力がいかに大きなものであったのか、改めて実感します。
逆に言えば、もし、お子さんに中学受験に挑戦させるのであれば、ご家族の方にもこれくらいの覚悟をしてほしいなと、個人的には思います。受験は絶対評価ではなく、相対評価、つまり、他の人よりどれくらい優秀かを競う戦いです。ある意味、少し「極端」なくらいのことをしないと、勝てないのが勝負の世界なのですから。


 
これまで4回にわたってお話しさせていただいた私の中学受験体験記はいかがだったでしょうか。もしかしたら、とても極端な例だったのかもしれません。時代も違うのかもしれません。ただ、そんな中学受験生がいたということは、紛れも無い事実です。その事実が、みなさんの受験戦略に少しでもお役に立つような情報になっていれば幸いです。
運動も勉強もダメだった僕の中学受験体験(3)
子供の頃、私には「欠席する」という概念がありませんでした。どんなに体調が悪くとも学校や塾を欠席することはありませんでした。さすがに風疹で出席禁止になった時には休まざるを得ませんでしたが。苛烈ないじめを受けていた野球チームの練習にももちろん欠席したことはありませんでした。別に「がんばり屋」だったとか「努力家」だったとか、そんな立派なものではないんです。たんに「欠席する」という選択肢があることを知らなかっただけなんです。下痢がひどくてもパンツの中に汚物をためこみながらも電車に乗って塾へ行き、平然と授業を受けて帰ってきたこともある塾長です、みなさんこんにちは。


 
逆に言えば、それほどまでに、学校や塾が楽しかったということでもあります。学校の先生や友達、塾の先生や友達、ほんとうにすばらしい人達に私は恵まれていました。

 
あるとき、学芸会のクラスの出し物を考える委員会を作るということになり、担任の先生が何人かの生徒を指名しました。すると、その指名された子たちから「先生、ぜひ中村くんにも協力してもらいたいので、メンバーに入れていいですか?」という声があがりました。当時、すでに人並み以上に本と音楽にふれていたこともあって、そういう意味では一目置かれていたようです。もう、これだけで感動ドラマですよね。しかし、私にとって中学受験の辛さを象徴する事件はこの数日後に起こります。

 
その日は塾の授業がある日でした。放課後、その委員会で打ち合わせをしていると、塾へ行かなければいけない時間になってしまいました。そのまま委員会の仕事をつづけるのか、それとも塾へ行くのか。それは、「クラスメートの信頼と期待」に応えるのか、「親の信頼と期待」に応えるかの二択でもありました。大なり小なり、こうした二択をつきつけられたのが、私にはいちばん辛いことでした。事情を知っているクラスメートたちは、「いいよ、塾に行ってきなよ。中村が大変なのを知っていながらメンバーに入ってもらったのは僕達の方だから。」と、気を利かせてくれました。私は感謝しつつ学校を後ろ髪を引かれる思いであとにしました。


ところが、
私が帰宅して塾に向かったあとそのことを知った担任の先生に、翌日クラスメートたちの前で激怒されます。


「お前はクラスメートたちの信頼と期待を裏切った」

 
クラスメートたちは私をかばってくれましたが、担任の先生の怒りが収まることはありませんでした。


私は今でもこの担任の先生を尊敬しています。当時のクラスメートたちの多くもそうだと思います。破天荒だったけれども、意欲的で野心的でとても素晴らしい先生でした。だからこそ、自分の心に重く深く響いた言葉でした。先生のおっしゃっていることはまったく間違えていない。けれども、自分の行動と選択も間違っていない。

「正しいこと」が、ひとつではないことを知った瞬間でもありました。

 
担任の先生は、私を委員会から外し、委員会の活動への参加を禁じました。


その夜のことです。
私の自宅のチャイムが鳴りました。
玄関の扉を開けてみると、委員会のメンバーたちが笑顔でいるではありませんか。
「さぁ、仕事するよ~」
と、言って、どかどかと上がってくるのです。
驚く僕に彼らは言うのです。

 
「だってさぁ、オレたちだけじゃ無理だもん。ここなら先生にバレないでしょ。ん?なにか?それとも、今度こそ『ほんとうに』オレたちの信頼と期待を裏切るのか?」

 
今こうして書いていても、これが小学5年生でのできごとだということに我ながら驚きを感じます。
でも、こんなできごとがふつうに何度も起きるミラクルな小学校でした、当時の郷州小学校は。


後日わかることですが、こうした出来事も担任の先生はご存知だったようです。
できあがった演劇のシナリオとBGMに私の匂いを感じたからとも仰っていました。



中学受験の辛さは、「クラス全員が受験をするわけではない」ということから生じる様々な葛藤に子どもたちが立ち向かわなければいけないことだと私は思います。これが他の受験と根本的に違うところなのです。この葛藤をすべての小学生が乗り越えられるかどうか、私にはわかりません。自分のお子様に中学受験をさせるか否かを考えるとき、この点はぜったいに考慮していただきたいと、面談では必ずお伝えするようにしています。
運動も勉強もダメだった僕の中学受験体験(2)
先日、『清須会議』を観ました。いやぁ、面白かったです。配役がまた素晴らしいんですよね。この武将にはこの人しか無いだろうというくらい。ただ、笑いのベースがとてもマニアックな気がします。きっと登場する武将たちについての知識がかなり無いと笑えないはずです。監督の三谷幸喜さんは、そのあたりは十分承知のうえで作られているのでしょうね。知識があると同じ人生の中でも「笑う」回数が増える、そんなことを改めて思った塾長です、みなさんこんにちは。


そんな塾長の小学4年生が終わる頃、両親から中学受験をしないかという話しを持ちだされたのでした。それまで勉強もそんなにできるほうではなかったのですが、いっさい習い事をせずに日々あちこちで遊んだり本を読んだりした経験と、学校で習うことが頭のなかでうまくリンクし始めていて、成績はどの科目も急上昇していたのです。

 
「野球チームであなたのことをいじめた先輩たちを勉強で見返してやりなさい。」
母のこの言葉が私を決心させました。

 
別にとくに行きたい中学校があったわけではありません。ただ、部活中心の公立中学校に行けば、またあの野球チームでのいじめられた経験がふたたび繰り返されるかもしれないという恐怖感がありました。そこに、ある種の「復讐」という強い動機付け。これがなければ、これから始まろうとしている過酷な中学受験勉強の2年間は乗り越えられなかったかもしれません。



 
小学5年生になり、守谷町に引っ越した私は、戸頭駅からひとりで電車通塾を開始しました。当時、中学受験ではもっとも勢いがあった塾を選びました。最寄りの教室でも我孫子。講習時は松戸まで通いました。今でこそ通塾は親御さんによる自動車送迎が主流ですが、当時は、みんなひとりで電車通塾するのが当たり前でした。もちろん、いろいろなトラブルや事件には巻き込まれるのですが、子どもも親たちも社会にでるとはそういうものだという共通認識があったので、ことさら大きな騒ぎになることはありませんでした。

 
授業は17時から21時まで週3回。これでもいちばん授業数が少ないコースでした。21時に授業が終わっても、そのあと1時間近く補習が入ることも珍しくありませんでした。そうなると常総線はすでに最終便なんてことも。それでも、塾がある日は楽でした。きつかったのは、塾がある日の前の日でした。たいてい宿題が終わらず、夜中の2時までやって、仮眠をとって朝の5時に起きてなんとか終わらせるという日もありました。夏期講習や冬期講習では1日8時間の授業が毎日。夏季合宿では3日間3時間睡眠で勉強をしつづけるなんてこともやりました。

 
それでも、「塾をやめたい」とか「受験をやめたい」とはまったく思いませんでした。それは、いじめられながらスポーツをやるという体験に比べれば、受験勉強なんてはるかに天国だったからです。じっさい、塾の授業は楽しかったですし、塾の仲間たちも楽しかったのもあります。いまだに当時の先生方やクラスメートの名前を覚えているくらいです。


 
中学受験の辛さは、じつは、こうした勉強のハードさではありません。じつは、中学受験特有の辛さがあります。どうにも、こうにも、これには私も悩まされました。泣きました、何度も。それは・・・・

 
(つづく)
運動も勉強もダメだった僕の中学受験体験(1)
じつは私も中学受験生でした。ほんとうは、中学受験で大学までの10年一貫校に合格していたのですが、直後に父の海外転勤というまさかの展開に、結果、高校受験、大学受験、大学院受験まで経験し、まるで受験の博物館みたいな様相の塾長です、みなさんこんにちは。


 
中学受験勉強を開始したのは、小学5年生。それまでは、習い事はいっさいしておらず、毎日野原や街中で遊び呆けている小学生でした。ただ、あとで述べますが、この経験が中学受験では有利に働くことになります。


勉強は正直そんなにできるほうではありませんでした。小学2年生のときにかけ算を覚えられず夏休みに呼び出しをくらっていたくらいです。小学3年生のときには割り算や分数が理解できず、やはり何度も補習の呼び出しを受けています。


ただ、それ以上にスポーツがまったくできない子でした。当時通っていたスイミングの先生からは「誠に申し訳ないですが、いそかず君をこれ以上上達させることは私にはできません。」と謝られ、当時入っていた野球チームでは相手チームからの秘密兵器だと疑われるくらい完全にチームのお荷物状態ということもあって、たいへん苛烈ないじめにあっていました。両親どころか親戚たちも私が野球チームでいじめにあっていることを知っていましたが、「いじめられるのも良い体験だ」という両親の方針のもと、完全放置でした。今から思えば、両親のこの方針には感謝しています。このいじめられた経験が、その後の私の人生を大きく変えたのですから。

 
小学4年生のとき、それまで暮らしていた東京と神奈川から父の転勤で取手に引っ越すことが決まります。私にとっては、まったく真新しい世界です。勉強においても、スポーツにおいても、ともに天然記念物なみのダメ少年だった私の過去を知らない人たちの中で生活を始められるのです。私は生まれ変わるチャンスだと思いました。ちょうど稲小学校が新設された年で、真新しい学校の扉を、真新しい私は大いなる希望と野望をもってくぐったのです。


そんなときでした。

両親から

「中学受験をしてみないか?」
と、もちかけられたのは。


(つづく)





 
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