<< December 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
長文読解力には2つの種類がある
国語が学力の基幹をなす重要な科目であることは多くの人たちに理解され、知られていることです。ところが、中学生くらいになると、塾にお越しになる方の多くは、「英語と数学の指導を」とおっしゃられます。そういう市場の需要状況もあって、多くの塾で国語の授業はオプションだったりします。あれ?国語は重要な科目であるはずののですが、いったいどうしたことでしょうか?


いろいろな原因があると思いますが、ひとつには「国語には正解がひとつとは限らない」から、「教えられる」先生がいない・・・という誤解が大きいように思います。しかし、受験という合否を明確にしなければならない状況で出題される入試問題の国語にあっては、「正解がひとつとは限らない」では困りますから、必ず正解がひとつになるように設計されています。したがって、その設計法則をふまえれば、国語にはきちんと成績を伸ばす指導法が存在するということになります。もちろん、翔智塾でも、こうした方法論がきちんとあって、自信をもって国語の授業をおすすめしているわけです。



そもそも、入試問題とは、学校の先生方が「自分の生徒にしたい」と思わせる資質をもった子を発見するための道具です。その意味で入試問題を見てみると、その学校が子どもたちにたいしてどんな理想像をもっているか、そこはかとなく読み取れておもしろかったりします。もちろん、入試対策もそうしたところまで読み取って対策をしていくことになります。


では、国語の現代文を通じて、受験校の先生方は子どもたちの何を見極めようとされているのでしょうか。

「読解力」
もちろん、それが正解なのですが、じつは「読解力」といっても、さまざまな要素があり、それが国語の指導を難しくしているのは事実です。しかし、大きくわけると2つのタイプがあるような気がします。




ひとつめは


「文章に対しての処理能力」

 
これは、主に「書き抜きなさい」という指示に象徴されるように、長文中にある情報をルールにしたがって正確に抽出できる能力です。入試でも求められる「読解力」の多くはこうした力で、これはルールをしっかり理解させ、解法の公式通り作業をすることを習慣づけさせられれば、大幅に得点アップが望めます。塾での国語の指導も、こちらの能力を伸ばすことが主となります。




もうひとつは


「受験生の精神的『大人』度」


です。おそらく、受験校の先生方からすれば、こちらのほうに重きを置きたいというところが本音ではないでしょうか。論説文で扱われている話題や問題意識を共有できるか否か。物語文で登場する人物がみせる「大人な」行動を理解できるか否か。そうしたことが問われてしまうという一面が、国語の長文問題にはあります。



昨日も、中学生が向田邦子さんの『父の詫び状』の中から、向田邦子さんと年老いた彼女の母親とのやりとりが題材になっている問題にみんな大苦戦していました。入院した母親を見舞いに来た向田邦子さんが、ちらっと腕時計をみてしまう。それに対して「さあ、お母さんも横にならなくちゃ」という母親の気遣いの意図を書かせる問題です。もちろん、正解は本文に明記されていないので「書き抜く」ような<処理>では正解は導けません。こうした気遣いに気づける子、できればこうした気遣いができる子をわが校にほしい・・・という出題者の意図が明らかな設問ですよね。



こういう「大人」度をはかる問題を解けるようにするためには、子どもたちひとりひとりに「大人」になってもらうしかありません。塾ができることは、教室という場で、さまざまな局面で他の人たちに対して気遣いをするように具体的に指示していくといったことに限定されはしますが、多少なりとも「生活指導」的なことも欠かせないのです。



「大人」である・・・ということは、「自分とは異なる立場にある人の考えと存在を認める」ということではないかと思います。そう考えると、「大人」になりきれていない大人もけっこういる今日このごろではないかとふと思ったりします。
 
TRACKBACK URL
http://study-place.jugem.jp/trackback/1160
TRACKBACK
PROFILE
STUDY PLACE 翔智塾