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「やる気スイッチ」は、親御さんの背中にある。
梅雨入り直後の連日の土砂降りから一転、良い天気となった週末に「なんだか今年の梅雨はやる気満々だったけれど、スタートダッシュで張り切りすぎて息切れしているみたいね。」と言う妻のセンスに脱帽の塾長です、みなさんこんにちは。


子どもが勉強をやる気になってくれない・・・
というのは、保護者面談でもとてもポピュラーなご質問です。
「やる気スイッチどこにあるの〜♪」みたいなTVCMをうつ大手塾さんもあるくらいですから、どれだけこの問題に頭を悩ませている親御さんが多いか想像に難くないですよね。
「塾に入ることで、やる気がでてくれれば・・・」
と、お考えになる親御さんもきっと多いとは思いますが、
当塾では『やる気スイッチ』は販売しておりません。各自でご用意してからご入会ください。


もちろん、私達も子どもたちのやる気を喚起するよう、いろいろな工夫をするわけですが、「やる気スイッチ」が入ってない子には、ほとんど効果がありません。ゼロにはどんな大きな数字をかけても、ゼロのままということです。

物質的に恵まれ、「子どもたちのやりたいことはやらせてあげたい」という風潮の中で育てられている今の日本の子どもたちは、勉強することのメリットを感じ、理解することがとてもむずかしい状況にあります。
では、どこにやる気スイッチがあるのか?

 
20年以上、子どもたちの教育を生業としてきた私の実感からいうと、
子どものやる気スイッチは、親御さんの背中にあるんです。
こんなエピソードがあります。真偽はわかりませんが、私の経験と実感からとても共感できる記事でした。ぜひご一読を。
タイトルをクリックするとリンク先に飛びます。

 
『子供に勉強してほしいなら、まず自分がやればいい。』


 
「いやぁ、お父さんお母さんは仕事でクタクタで帰宅するんだからうちでは勉強しなくていいんだよ。」

「じゃぁ、僕も学校で勉強と部活でクタクタで帰宅するんだから、うちでは勉強しなくていいんだよね?」
とならないようにしたいものですね。

 
自習室の学習マンガや参考書が増えました
中学受験の伝統的な参考書『力の5000題』のことを、「力の御宣台」というなにやら不思議な台が塾にはあるのだと勘違いも甚だしい感動をしていた中学受験生だった塾長です、みなさん、こんにちは。




先日、「中学受験が無事終わったので」ということで、お使いになられていた参考書類を大量に譲っていただきました。


ドラえもんの学習マンガシリーズや、私にとってなつかしい『力の5000題』など、塾としてはたいへんありがたいお申し出でした。


 
自習室でみなさんが自由に読めるようにしたところ、さっそく熟読している子がいました。


 
こういうのは、「読みなさい」みたいな強制をするとダメなので、なんとなく目につく場所に置いておくだけにするのがコツだったりします。



そういえば、私が中学受験生だったとき、理科と社会についてはほとんど勉強したことがありませんでした。

 
それは、アレルギーの治療で通っていた病院の待合室に学習マンガが大量に置いてあり、それらを何度も何度も熟読したからでした。我が家は、マンガを買うことはもちろん、読むことも禁止されていたので、ある種の背徳行為で、そのスリルがまた良かったのかもしれません。


当時は、マンガは子どもの学力を下げると真剣に言われていた時代でした。ゲームやネットが無い時代ですから、マンガが子どもにとって最大の娯楽だったからですよね。




しかし、今では、マンガすら読めないお子さんもいらっしゃるくらい、子どもたちの娯楽があふれています。もはや、マンガは数少ない活字との接点という感じです。国語が苦手という生徒さんにマンガを音読させると、マンガの中にあるわずかな活字ですら、単に発音記号と化していて意味をもったかたまりであるということがまったくわかっていないというケースも意外とあります。

 
ですから、お子さんが「自習室でマンガを読んでる」と言っても、どうか叱らないでください。
そこから、活字から自分の世界を広げることの楽しみを見つけられるように導いていきますので。




それでは、また。
「教育にICT」で根本的にかけている視点
30年前、日本が「ワープロは手書きの文化を破壊するから規制すべきだ」という議論をしていた時代、公立の学校にすでにひとり一台のパソコンが導入されていたアメリカから、子供心に日本の将来を本気で心配していた中学生だった塾長です、みなさんこんにちは。
ネットで、佐賀のある学校の先生のブログが話題になっています。

『佐賀県ICT利活用教育の現場報告 県やメディアが伝えない当事者の生の声をレポートします』


 
学校にICTを導入することの難しさがリアルに伝わってきます。

ふだん、教育の現場にいると、「やっぱりな」という感じです。



そして、この記事に対して、

「運営に問題があるのでは?」「いや、機材にも問題あるでしょ」
と、さまざまな意見が取り交わされています。




そもそも、なぜ「教育にICT」なのでしょうか。

それは、「ICTが教育に効果的だから」なはずですよね。



言い換えると、

「ICTを導入すれば、子どもたちの学力が従来の方法以上に上がるから。」

ということですし、そうあるべきですよね。




しかし、この部分が、なんだかまったく不透明な感じがしませんか?

「なぜ、ICTを導入すると子どもたちの学力が上がるのか?」
きちんとした説明や理論的な裏付もないままに、事態が進んでいるような気がしてなりません。






学力を上げるのには、

「『(広い意味で)学力をあげたい』という気持ちで、大量の演習をこなすこと」

しかないと私は思っています。



「(広い意味で)学力をあげたい」という気持ち・・・というのは、

「やる気」でもいいですし、「好奇心」でもいいですし、「競争心」や「目的意識」でもいいと思います。




その前提で、

ICTが子どもたちの学力を上げるための条件を考えると、
1.子どもたちの「(広い意味で)学力をあげたい」という気持ちを喚起する

2.先生たちの労力を軽減し、結果、先生たちの実力や魅力が授業や指導でより発揮できるようになる


などのアプローチがあるはずです。
ところが、
「教育にICTを」
というと、圧倒的に前者に傾きがちな気がします。
おそらく、前者のほうが「見た目が派手」だから、わかりやすいのでしょうね。


ICTが教育に与える可能性はとても大きいと思います。
私たちの Study Place でも、私たちなりのICT活用をしていますし、成果も上がっています。
それでも、まだまだ試行錯誤段階というのが正直なところです。





ICTだろうが、なんだろうが、なんでも良いのです。



親御さんの願いはただひとつ、

 
「子どもたちの学力を上げたい」

 
です。
教育とは、ただただその願いに応えていいく営みです。
関係者のみなさま、よろしくお願いしますよ!
それでは。
塾生がEXILEに!
先日、卒業生のSくんが塾をとつぜん訪れました。
オフコースファンの私から見ると、鈴木康博さんにそっくりのイケメンSくん。
高校生になって、イケメン度がさらにアップしているような気がしました。




「どう、高校生活は?」

という私のお約束的な質問にも嫌な顔をせず笑顔でいろいろと話してくれました。



中3のとき、授業のコマ数をどんどん増やして、自習室にも毎日のように通いつめていたSくん。

「いや、高校生になったらやりたことがあって、そのためにがんばってきたというのが本当です。」

と恥ずかしそうに笑顔。
「じつは、ダンスの学校に通っています。いつか、大きなステージに立ちたいから東京の有名なダンススクールにも入学願書を出して入学許可待ちです。」

EXILEにあこがれてというSくんが選んだ有名なダンススクール・・・もちろん、あそこです。



 
「EXILEにあこがれて」もそうですし、「声優にあこがれて」「スポーツ選手にあこがれて」「AKBにあこがれて」・・・・何かにあこがれて、その道で自分も活躍したいという子はとても多いです。ただ、そうした「あこがれ」の裏には、往々にして、「勉強したくないから」という匂いを感じざるをえなかったりします。


でも、Sくんは


「EXILEにあこがれて」いたからこそ、勉強もがんばってこれたわけです。


そして、その登竜門をきちんと叩いている。




夢をみているだけでは、夢は叶いません。
夢の実現にむけて、より厳しい環境に自らの身を投じて、初めて、そのわずかな、ほんとうにわずかな可能性が開けるのです。仮に、夢がそのままの形では叶わなくても、そうした経験は、何らかの形で人生を支える大きな幹になります。
その意味で、受験勉強は、夢をかなえる方法を学ぶためのものだと私達は考えています。

 
志望校合格という小さな夢にむかって邁進する。その中で、「より厳しい環境に自らの身を投じる」ことの大切さを学んでほしいのです。受験勉強で習う知識は役に立たないかもしれないけれど、その経験は大いに役立つものであるはずです。
Sくんのように、あこがれにむけて、具体的な一歩を踏み出している人たちは全力で応援していきたいですね。


それでは、また。
旅で思う受験生に求められるもの
結婚して初めてのゴールデンウィークをすごして幸せいっぱいの新婚塾長です、みなさん、こんにちは。


ゴールデンウィークは、お正月やお盆は講習で仕事になってしまう塾業界では唯一、心置きなく長期休暇をとれる期間です。そんなわけで、少しだけ遠出をしてきました。妻にどうしても見せたい景色があったからです。

これです。



信州のとある峠から見た飛騨山脈、通称、「北アルプス」です。

信州の山深い道を延々と走って行き、ようやく峠のトンネルを抜けると大パノラマが広がるという、そこへ行き着くまでの展開がドラマチックなのが、光景そのものの魅力をより引き立ててくれます。ネットの普及で、居ながらにしてさまざまな疑似体験ができるという触れ込みはよく聞きますが、「リアル」なものから入ってくる情報の豊かさと深さは、今のネットの技術程度では、まだまだ遠く及ばないことを実感する体験です。


こうして、旅に出てみるともうひとつ実感することがあります。それは、

「世界は受験勉強の知識にあふれている」

ということです。


さきほどの、「飛騨山脈」「北アルプス」といったような受験勉強のテキストに載っている事柄が、あちこちで目にすることができるんですよね。そして、こうした光景を見ることで、飛騨山脈が、「北アルプス」と呼ばれている所以を実感することができます。受験勉強は、社会や理科だけでなく、国語や算数・数学なども、受験勉強のための「社会にでても使わない知識」などではなく、世界を構成している様々なものへの理解を深めるガイド役なんです。


入試問題を見てみると、作成された先生方のそういった想いが、ひしひしと伝わってきます。受験勉強で得た知識が、単なる志望校合格のための道具に成り下がっているのか、それとも、世界をより豊かに深く理解するための自身の血肉となっているのか・・・入試問題を作成する先生方が受験生の中に見出したいのは、そんなところにあるように思えます。
「知識」か「体験」かといった二律背反的なことではなく、「体験」に裏付けられた「知識」の深さと豊かさ。これこそが、受験生に求められるていることなのです。



その意味で、旅行は、「知識」を「体験」とむすびつけていくとても良い機会です。
ちょうど今日から愛宕中学校の中三生が修学旅行にでかけています。

友達どうしではしゃいで終わってしまうのでしょうけれど、少しでも、「知識」に彩られた世界の面白さに気づいてくれるとうれしいですね。
子どもたちが勉強しない理由
気がつけば、新年度初のブログ投稿ですね。教室にある複数のパソコンのうち、XPマシンのOS乗せ替えやら、買い替えやらで、ひさしぶりにパソコンをいじりまわす大変さと喜びを同時に味わっている塾長です、みなさん、こんにちは。


当然といえば、当然ですが、

面談でいちばん多いご相談が

 
「子どもが勉強しないんです」


です。


 
大人たちは、社会に出て、いかに勉強が自分の利益になるかを実感しています。
だから、勉強の大切さもわかっています。

ところが、子どもたちにとって、勉強することって、じつは何の利益もないんですよね。

それどころか、


勉強なんかしてたら、部活でみんなと勝利を目指すための練習時間がとれなくなってしまいます。

勉強なんかしてたら、スマホでみんなとのコミュニケーションをとる時間がとれなくなってしまいます。

勉強なんかしてたら、スマホでゲームをして、ライバルよりも先に進む時間がとれなくなってしまいます。



ほら、子どもたちにとっては、勉強なんかしてもデメリットばかりで、良いことなんて微塵もないじゃないですか。



子どもたちの世界では、勉強ができても誰も尊敬してくれません。

子どもたちの世界では、スポーツができる子、ゲームで高得点を出している子、ネットですばやく気の利いた返事ができる子などが、尊敬を集めるのですから、そのために勉強の時間を削るのは当然のことと言えます。


なにかの間違いで勉強をがんばったりすると、大人たちからですら、

「自分のこと優先で、クラスや部活での協調性に欠ける。」とか
「学歴社会は崩壊したのだから、勉強だけできても意味が無い。」

などと意味深な評価をされてしまうのですから、そりゃぁ、勉強なんてしませんよね。



子どもたちの勉強のことを考えるとき、

「子どもたちにとって、勉強することのメリットは何もない」
という前提からスタートしないと、徒労に終わります。



子ども時代から勉強が嫌いだった私も、「勉強なんて意味ない!」なんて「当然」のように考えていましたから。
人を喜ばせる力
小学5年生の男の子に、自分のお小遣いで買ったお菓子をもらって感涙しそうになった塾長です、みなさん、こんにちは。






人生における「成功」って何かと考えると、
けっきょくのところ、どれだけ人を喜ばせることができたか・・・だと思うんです。

お金は、人の感謝の気持ちをカタチにしたものだと考えれば、経済的成功も、やはり同じことが言えると思います。




教育の目的は、子どもたちひとりひとりに、「人を喜ばせる力」を身につけさせてあげることだと私は考えます。

勉強ができる・・・というのは、まさにそうした力の大事な一要素です。



ですから、スタディー・プレイスに通ってくれている子たち(僕らは彼らを「チーム・レイブンズ」と呼んでいますが)が、こんなふうにさりげない優しさをもっていることに、喜びと誇りを感じます。


そして、そんなお子様に育て上げられた保護者の方への尊敬の念でいっぱいになるのです。



これをまたさらに大きな喜びでお返ししなくちゃと、今日もはりきっていきたいと思います。
 
林修先生の「今でしょ」を流行語に貶めないために
「『トムクルーズ、かっこいい!』という夢を見ようと思って、寝る前にMI2を観たら、感染病の悪夢を見てとても怖かったです」と報告してくれた中2の女の子を担当している塾長です、みなさん、こんにちは。
今や誰もが知っている


「今でしょ!」



林修先生の「今でしょ!」は、ブレーク前から知っていたのですが、こういう教育現場の先生の魂の叫びが多くの人に知られていくのは良いことだなと思います。
子どもたちを指導する多くの先生方が、林修先生の「今でしょ!」にはきっと共感を覚えるのではないでしょうか。
教育現場にいると、何度となくこの言葉を子どもたちにかけることになるからです。


昨日、「やればできる子、YDK。」なんて言ってたらダメですよ、

ということを、為末大さんの言葉を引用しながらお話ししました。



今日は、さらに厳しいことを言いますよ。そこの「やればできる子」、覚悟しておいてくださいね。





仮に「やればできる子」が「やるように」なったとしましょう。


しかし、ウサギと亀のレースのように、先行しているライバルが隙をみせて一休みしてくれるほど、現実のライバルたちは甘くありません。

「やればできる」などと言ってウダウダしていたその瞬間も、ライバルたちは走り続けて差を広げつづけているのです。


つまり、「やればできる子」が「やるように」なっても、それはライバルとの差がそれ以上広がらなくなった・・・というだけで、ライバルに「勝つ」にはまだ遠く及ばないということなんです。
でも、けっして、ライバルに勝てないということではないですよ。


だから、
林修先生は、魂の奥から

「今でしょ!」
と、多くの受験生に言い続けてきたわけです。



今すぐ始めたとしても、ライバルとの差は容易には縮まりません。しかし、今始めなければ、差は大きくなるばかりです。

そういう競争をしているのに、貴重な時間を「やればできる」なんてグダグダ言い訳して浪費してたら絶対にライバルには勝てないよ・・・
という先生からの熱いエールが、「今でしょ!」という短い言葉には凝縮されているんです。




今や流行語大賞をとるまでに有名になったこの言葉を、いろいろな人がパロディックに流用していますが、
もっと多くの人たちが、この言葉のほんとうの<重さ>を深く考えてほしいと思います。


 
残念ながら「やればできる」は幻
同い年の葛西選手が見事オリンピックで銀メダルをとったことに励まされている塾長です、みなさん、こんにちは。


ひいきの選手とかひいきのチームとか無い私ですが、陸上競技のオリンピックメダリストでもある為末大さんにはいつも惹かれます。

タイトルの言葉も、じつは為末大さんの著作の中の見出しのひとつなんです。

 
為末大さんは、ご自身の著作やネットで、よくこんなことをよくおっしゃっています。



「努力すれば成功する、は間違っている」


「『やればできる』は幻」



為末大さんのそうした言葉に、

「いや、努力は大事だ!」

と、少なからぬ人が反発を覚えている様子がネットでもみることができます。


「努力すれば必ず成功する!」

なんてことは、意外なくらい多くの人たちが言ってたりします。
そういえば、某大手塾さんが「やればできる子、略してYDP」なんてなかなかオモシロイTVCMをやってますしね。






しかし、よく読むと、為末大さんは

「努力は大事ではない。」

とは一言も書いていないんですよね。



為末大さんの主張は、じつは、もっとずっと厳しいものなんです。

いわく、トップアスリートたちは、日夜限界まで努力をしていて、「努力の差」なんてものは存在しない世界なのだと。

つまり、「努力する」なんてことは、「呼吸をする」というくらい<あたりまえ>のことであって、そんなところで勝負をしている時点では、まだまだダメだという・・・・ヒジョーに厳しい主張なんです。



勉強でも、同じ事を感じます。

トップ集団にいる子達は、けっして

「がんばる」とか「努力する」

って言わないんですよね。



彼らにとって、「がんばる」とか「努力する」というのは、やはり「呼吸をする」というくらい<あたりまえ>のことであって、24時間という限られた時間の中で、いかに得点と順位を上げる工夫をするかということのみが、彼らの関心事なのです。



勉強でも、スポーツでも、芸術でも、

「上位に入る」

ということは、そういうことなのだということを知ることから、まず始めましょう。



為末大さんの著作は、教室に置いてありますので、興味がある方は手にとってみてください。



 
塾の国語の授業は、本との出会いの場
最近、小学生の子たちが、国語のテキストに長文読解の問題として取り上げられている小説に興味を持つようになりました。

そこで、守谷市の図書館の在庫を検索してみると、意外と蔵書が無いことがわかりました。

それならば塾の本棚に設置しようということで、生徒からリクエストがあったものは、購入するようにしました。


こどもたちの自発的な「読みたい」という気持ちを大切にしたいですからね。



私が小学生だったころは、

ゲームやネットどころか、ビデオも、深夜アニメも無かった時代ですから、自分の知らない世界へ旅たつには読書しかありませんでした。

当時は、習い事がなかったことも幸いして、小学生の私は大量にあった時間のかなりの部分を読書に割くようになっていました。だいたい1日1冊読了するペースです。

本ばかり読んでいる暗い少年だったかというと、そうではなく、日中は友達と近所の野原で虫や小動物を捕まえたり、近所の子達をひきつれて隣町まで自転車で冒険に出かけたり、キックベースや缶けりに夢中になっていました。

本を読んでいたのは、学校からの帰りに歩きながら、またはトイレの中、または寝室のベッドの中で、親には寝たフリをして読んでいました。


それが功を奏し、中学受験の勉強は、私にとって「すでに本で読んだことがある」知識か、「野原で触れた自然で経験したことがある」知識が大部分を占めていました。
遊んでいたつもりが、勉強になっていた・・・・そんな実感を読書を通じてもってほしいなと思います。
PROFILE
STUDY PLACE 翔智塾